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あなたにとって、なーに?
以下、メルマガより抜粋。
*****

<あなたにとって、なーに?>

皆様にとってシオラーズ、ドミナ、SM嬢の存在とは何ですか?
あの事件の報道以来、SMに興味をお持ちになったとおっしゃる読者が多い為、
初心者・未経験者にもわかりやすく、説明を加えて書きます。

Мにとってのドミナ(支配者=女王様)は
性欲を満たすだけの関係で終わることもあれば、
生き方に影響を及ぼすほど、大きな存在に膨らむこともあります。

シャーマンであり、ハトシェプストであり、女神であり・・・
時には慈愛に満ちた母の如し、時には心を玩ぶ悪魔の如し・・・
Mとの関係性により、ドミナが見せる顔も行動も様々で、
ひとりのMがSの全ての顔を知ることは不可能でしょう。

逆も然りです。
犬のように従順であるМが、相手変えれば生意気なこともあります。
それどころか、Sに早がわりすることも珍しくありません。

SMクラブで出会った場合、最初はSMプレイから関係が始まります。
SMクラブの女王様プレイにおいて性行為は介入しませんが、
関係をわかり易く説明するのであれば、
「先に肉体関係をもった後に、後で深まる男女関係のようなもの」です。
ちょっぴり下品で過激な言い方ですが。

こうしてセッションを重ねてゆくにあたって、
お互いの存在が重きを占め、大切なものとなってゆくことがあれど
不思議なことではありません。

人には自分の好きな愛し方、愛され方があります。
ある人は手を握ることが最大の愛の表現かもしれない。
でも、それでは物足りないという人もいるでしょう。
この価値観のずれが「性の不一致」と言われるものでしょう。

Sという行為、Mという行為=SMプレイとは、
それら、手を握ったりキスしたりという愛し方、愛され方と同じです。
拘束されることで愛されていると実感する嗜好の人(=M)もいれば、
愛の確認をする為に、足を舐めることを強いる人(=S)もいます。

確かに屈折している表現ではあるけれど、
知性に基づいた、人間のみに許された行為です。
想像力やビジョンの共有、理解力や洞察力、
五感を最大限に働かせ、関係性を確認するのです。

セッション中、Sは能動的に、Мは受動的になります。
(この主導権については微妙な点もいくつかありますが。)
オーラのある人、パワーの強い人、カリスマといわれる存在が
Sとして崇められるのは自然なことで、
ドミナをシャーマンや女神に例えるМは多いのでしょう。
確かに、最高のセッションを知ると、シャーマニズムそのもの、
もしくは近いものであることを体感できますしね。

その場合、ドミナばかりが媒体であるかのように語られますが、
私はそれに疑問をいだいております。
確かにSは支配者として、力を加減し、五感をフル活動させてМを操ります。
その手段として、鞭や蝋燭を使用します。

Mは空っぽになり、Sの発する全てを吸収します。
脱魂し、Sの一部が憑依したかのようにも思えるし、
遠くに飛んだ魂を、糸のように細くなった意識の線で
泳がせているかのようにも思えます。

ある一定の状態に達すると、S側もその意識の線を辿り、追い、
風船のように浮かぶ魂を手中におさめる安堵で、
自らの意識も遠くにやります。
Sも自分自身を空っぽにするのです。
Mだけを空っぽにして、Sだけが現在に残り、操るのではないのです。
顕在意識上の生を保つ限界、一種のトランス状態の中で対峙するのです。
そこには形だけの支配や、理論的なS性やM性も意味を成しません。

見えない力や波が、永久に続く∞のマークのように
お互いの間を循環し始めるのです。
一体となる?融合?どんな言葉を選べばよいのかもかりません。

初めてこれを体感した時は怖く、中断しました。
しかし、これは私のSM追究を終わらせない罠ともなりました。
全てのSMセッションで必ずしもそのような素晴らしい体験が訪れるわけでは
ありませんし、そこに至るまでには資質や時間、相性も要しますが。

BDSMについて書いてきましたが、
SMクラブとは、これらの行為をバーチャルで楽しんだり、追究する場所です。
恋人や奥様に性癖をカミングアウト出来ずにいらっしゃる方、
気軽な気分でいらっしゃる方、長年性癖に悩み、相談にいらっしゃる方・・・
多くの方々がSMクラブを利用します。

認知されてきたとは言え、SMに対しはまだまだ偏見も強いでしょう。
それは、S行為、M行為に潜む感情を踏まえず、
鞭や蝋燭の部分だけが切り取られて伝わっているからでしょう。
深くを知れば、表現が異端なだけで、
真理は誰もにある感情に過ぎないことに、気付かされます。

SとMは、お互いが満たされている共生依存。
Sは自分の存在意義をすり込もうとし、
Mは自分の存在価値を確かめようとします。

満たされている共生依存、SとMの最高なる状態かもしれません。
永遠に満たされたまま、現世を終えられれば、
永遠の愛を手にすることが出来るのでしょうか。

改めて、あなたにとってのドミナと言う存在、BDSMとは何ですか?

あなたたちがドミナに癒されてきたように、
私も彼女らの存在に癒されてきました。
彼女らは私の宝石であり、ラ・シオラは私の宝石箱でもありました。

マテリアルで言えば、ヨーロッパで見つけた物、
街中で感性にフィットした物を持って帰り、時間をかけて収集した物。
術で言えば、失敗を繰り返す中で最良を見出だし、学んだもの。

ラ・シオラと言う箱は、
最初はヤスリもかかっていないただの木箱だったけれど、
内々だけには立派なベルベットを敷き詰めておくのを忘れなかった。
その上には、ドミナという様々な原石が常にちりばめられていたから。
彼女らが研磨され、輝きを放っていくのと平行して、
木箱の外も磨かれ、漆を塗られ、細工が施されていった。

このように宝石箱の片鱗を成してきたのです。
11年と言う歳月をかけて。


お店と言うものは、消費者にとって通り過ぎるもの。
長い人生の中で、誰かがちょっぴりの時間、足をとめるだけのもの。
だけど、店主やそこに関わる者にとっては、
最大限の思いと工夫と愛情が詰まっているもの。

あなたが今日履いていた靴はどちらでお買い求めになったの?
あなたが今日ご使用なさったフォークはどちらで?
あなたが今、手になさったハンカチは?ペンは?

記憶に残らないお店だってあるでしょう?
だから、たった一瞬、誰かの目に留まり、記憶の片隅に残ればそれで上々。
もし、あなたの記憶の片隅にラ・シオラのドミナがいらっしゃったなら、
大変嬉しく存じます。
一瞬であれ、素敵なお時間をお過しいただけたのなら。

ドミナとは、私の宝石であり、有意義な時間の共有の可能性です。

そしてBDSMとは?
未だ言葉では明確なこたえを見出だせぬものではございますが、
核は感性と私自身の生き方の奥深くに根付いているようです。
私の中に棲息する何かです。

逃げ出そうとしたり、嫌になったりしたことも。
だけど、自分の外部のものではないから切り離すわけににゆかない。
カオスの中で感じる。
結局、魅せられている。本能が。

では、何故人はSになるか?Mになるか?
私なりの核心がございますが、この物語はそのうち。

馬鹿げた話だと言われるかもしれないので、いずれ有料メルマガにて。(笑)

ラ・シオラと言う宝石箱は本当に多くの方々に支えられてきました。
会員様あってのこと、ドミナあってのこと、スタッフあってのこと、
同業の方々が共にこの世界を盛り上げて下さってのこと、
・・・まだまだ切りがありません。

シオラをプロデュースするにあたって、現実的な問題の一切を考えず、
直進することができました。
私の立場には普通、売上や実務の現実を突き付けられるものですが、
そういったことは一切なく、純粋にドミナ育成てBDSMの追求に
力を注ぐことができました。最高の環境で働かせていただきました。

ラ・シオラに携わって下さった関係者&ドミナの全てが、
この世界を理解しよう、運営にあたってBDSMがねじ曲がらないようにと
心掛けて下さいました。純粋にBDSMと会員様のことだけを思い、
聖域であるよう努めて来られたと断言できます。
この実直さが今回の出来事になってしまったのかもしれませんが。

これほどに純粋にSとMの為に、運営されてきたクラブを知りません。
自信をもって断言できます。

好きが高じて仕事となることはよくあることですが、
良い意味で仕事の範疇を超え、良い意味で趣味との見境がなく、
向かい合ってきました。

ラ・シオラの引き続きや再開、プロデュースのお話をいただきます。
純粋にBDSMと向かい合える環境であればお手伝いしたいと存じますし、
また、誰かがラ・シオラを残して下さるなら、
よろこんで引き継いでいただきたく存じます。

だけど、盲目で前進している私はよいけれど、
スタッフには純粋に何かを追求し続ける辛さがあったのではないか?
・・・と頭を掠める今日この頃。
だから、それでもやろう!って強さがないと難しいのではないのでしょうか。


どんな世界であれ、全うするということには、
純粋な思いが必要で、それを貫くには揺ぎ無い何かがなければ出来ない。
スタッフたちにそんな純粋さがあったと思う。

人は最初は黄金で出来ていた。
だけど、子供から大人に成長するにあたって、
大きくする術として土が必要になった。
100%の黄金に土を混ぜ、大きくなり、純度の低くなった黄金にまた土を混ぜ、
また純度が低くなり・・・そうして、黄金の人間とは別の人間が出来上がる。

土が混ざることが悪いと思わない。
いえ、土を混ぜてゆかないと社会生活の不適格者になってしまうであろう。
でも、土を排除して考える、好きなものに対して思いを貫くことは、
不純物の多いこの世界においては奇跡の宝である。大切にしてゆきたい。

こういったことを考えると、人間の行動、法治の社会などが
本当に正しいことが行われているのか疑問が湧く。
人間だもの、100%正しいなんてないと思うけれど、
何ていうのだろう、本来は許される範疇ではないものまで
まかり通っている気がする。
うまく出し抜いた人が得をしたり、純粋に取り組んだ人が馬鹿をみたり。
今現在の政治もそうだけれど、日常でもそういうケースによく出会う。

少しづつ世界を知り、広がり、
普通に生活していれば耳に入らないことを垣間見たり知った時、
政治や経済はわからないけれど、行政、各国の情勢や関係にしろ、
認識してきた以上に間違いだらけのような気もしてくる。
突き詰めれば価値観が逆転してしまいそうで、立ち入れないことも多い。

これについても不特定多数に語るにはあまりにも無責任すぎるので、
有料メルマガにて書いてゆければと存じます。


あなたにとって、ドミナとはBDSMとは何ですか?
そして、あなたが黄金の人間のままでいられる時間とは?

大切になさって下さい。私も貫きます。
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エスペランサ
以下メルマガより抜粋
***

ブラジルの朝日
O sol matutino brasileiro
―ブラジルの朝日―

以下はこちら→【彼への想いはサウダージ】の続きです。

<エスペランサ>

「サウダージ」というポルトガル語について書いてきました。
次に最大のポルトガル語圏、ブラジルに話を移してみましょう。

先に申し上げますと、私はこの国を旅したことがありません。
なので、ブラジルによく行く友人の話、ボサノバなどの歌詞、
映画、本で得た知識に想像力を加え、展開してゆきます。
しかし、国と言うのはその地を踏み、空気を吸って、感じられるもの。
よって、足を踏み入れたこともない国について書くということは、
無責任なことだと承知した上で、進めます。

「サウダージ」という単語について書いたことをきっかけに、
「明日がないという感覚」「幸せ」について考えました。
これらと切り離せないのが、ボサノバが育ったブラジルのことです。
それと、偶然にも今年はボサノバ誕生から50周年。
そんな経緯から、書いてみることに致しました。

***

ブラジルと言えばボサノバ、ポルトガル語、フットボール、インフレ、混血、植民地・・・
そして、何と言ってもリオのカルナバル!!

数年前、カルナバルに行くことを計画していた男友達に
「一緒に連れて行って!」お願いしましたが、お返事はNO。
治安が悪い国の、毎年何人もの死者が出るカルナバル。
自分だけで精一杯になるだろうから、私の安全まで責任持てないと言う理由です。

それくらいエキサイトするカルナバル!!
サンバ、太陽、汗ばんだ肌、笑顔・・・
誰もが明るく陽気な様子を思い描くことでしょう。

北欧の春の到来を祝うカルナバル。
イタリアやドイツの仮面のカルナバル。
日本にも季節ごとのお祭りがあり、祭囃子を耳にすると足取りも軽やかになります。
お国関係なく、カルナバルは心躍るものですよね。

しかし、カルナバルには、もうひとつの顔があります。
去った後の寂しさ然り、出し物に付き纏う悲しいエピソードも然り、
世界各国にあった見世物小屋然り。
異形の人のことを罪を背負って生まれてきた人だと言い、
人々の前で晒していたのが見世物の始まりです。残酷なこと!

世界最大と言われるリオのカルナバル。
たった4日間の為に、1年かけて用意をするのは有名な話です。
儚き夢の為に、人々は労働と貧困に耐えるのです。
4日間の夢が覚めると、また厳しい現実が1年も続くのです。

ブラジルの強烈な太陽ですら、ありとあらゆる場所に、平等な光をもたらすことは難しいようです。
誰かが太陽を独り占めしているのでしょうか?

人口の半分を混血が占めていることから、ブラジルには人種差別はないと思っておりました。
差別の存在、しかも、深刻な問題だと聞いた時は意外でした。
肌の色が白に近いほど、人種差別から開放され、権力に近づくことができるようです。

黒人はブラジル植民地時代に、ポルトガル人によって連れて来られました。
奴隷として高額な売買でアフリカから輸入されたそうです。
逃げ出した奴隷がコミュニティを作ることもありましたが、どちらにせよ、苦しい生活の強要は変わらずです。

日本には奴隷制度が存在しません。階級はありましたが、其々に文化が生まれました。
しかし、奴隷制度では、奴隷には文化の欠片すら与えられません。
ブラジルの奴隷は仕え始めてから、たった8年で生を閉じたと言えば、
如何に厳しい環境を強いられてきたかがおわりいただけるでしょう。

奴隷制度は3世紀を過ぎて、やっと廃止されました。
しかし、黒人達の社会進出の政策は、今もなされていないままです。
人口の半数を混血が占めるにも関わらず、
大学では15%を切れるということからも、疎外されていることがわかります。

経済も終わり、働きたくても働けない親。
決して怠け者ではない、仕事に溢れているだけ。
学校に行けない、カルナバル以上の長い夢が存在することも知らない子供。

音楽や踊りのボランティアを通して、子供達が時間を持て余し、
堕落してゆくのを食い止める人たちもいます。
豊かな国の文化的嗜好、趣味としての芸術とは一線を画します。

音楽やフットボールは成功への一筋の光。
貧困と空腹からの逃避の手段でもあるのでしょう。

また、ある人は音楽で革命を起こせると言います。

ボサノバの歌詞に目を通したことはありますか?
祈りや家族の絆、社会問題を訴える歌詞であることが少なくありません。
メロディは軽快でも、切実なものも多くあります。
歌詞がわからなくとも、哀愁が隠し切れないものもあります。

例えば、エリス=レジーナの代表曲『酔っ払いと綱渡り芸人』
この歌詞は社会派詩人アルヂール・ブランキによるもの。
軍事政権下であったブラジルにおいて、民衆に最も愛された民主化運動の象徴でもある曲です。

この曲の歌詞は抽象的で、直訳に目を通しても理解出来ませんでした。
当時のアーティストは「検閲」の網を潜りながら作品を世に送っていた為、
わかり辛いものにせざるを得なかったのです。

独裁政権を批判するエリス=レジーナと共に、観客は声を張り上げ、この曲を唄ったそうです。

↓彼女の唄、観客の様子をご覧いただけます。
【酔っ払いと綱渡り芸人】
http://www.youtube.com/watch?v=TAA29Kvnu8k&feature=related

1982年。エリス=レジーナは薬物中毒により、36歳と言う若さでこの世を去りました。

遡ること13年前の1969年。
彼女は政権の圧力を受け、スタジアムでブラジル国歌を唄わされました。
人々から反感を買い、彼女自身も唄ったことの後悔を消せませんでした。
彼女が薬物に溺れた理由の多くは、後悔が占めていたのかもしれません。

1979年。『酔っ払いと綱渡り芸人』が誕生。
エリス=レジーナが国家を唄わされた10年後のことです。
薬物中毒という破滅願望の中で、国歌を歌ったことの後悔と、
ステージの向こうから返ってくる人々の声に希望を失わず、自らも声を振り絞ったに違いないでしょう。

この曲が生まれた3年後に、エリス=レジーナは生涯を閉じます。

こういった経緯を考えると、音楽で革命が起こせると言う人がいても不思議ではありません。
音楽による思想改革も有りえることかもしれません。

***

若い頃、ブラジル人の混血の女の子ふたりと仲良くなりました。

ひとりは同じ名前と言うことから、お互いに親しみを持ちました。
日系とのことでしたが、褐色の肌とラテンらしい顔立ちからは、
日本人の血が流れているようには見えませんでした。
もうひとりは、サンバの大会で優勝経験もある黒人の女の子で、水商売の為に来日したとのことでした。

3人で踊りに行った時、如何にも裕福そうな男性がサンバの女王に言いました。
「今から30分、音楽のリズムに乗らなければ○万円払うよ。」
サンバの女王は大喜びで、挑戦を受けました。

当時、まだ私は21、22歳。今より更に無知。
「どうしてそんな変な賭けをするの?」
私の質問に、男性が言いました。
「ブラジル人の血にはサンバや音楽が染みこんでいる。
たくさんのブラジル人と友達になったが、音楽が鳴ると、3分と身体を揺らさずにいた奴はいないね。」

何年も経った後、その意味が少しだけ理解できました。
そうそう、賭けの結果はあっけなくサンバの女王が負けました。

***

カルナバル、音楽、フットボールに賭けるブラジル人の熱意は相当なもの。

スラム街の路地にはボールを追いかける子供の姿があり、
フットボールの為に乱闘、時には死人を出すまでエスカレート。

儚きカルナバルへの意気込みは、映画『黒いオルフェ』で感じることができます。
貧しさの中での家族の絆と、音楽で成功することへの羨望は、映画『フランシスコと二人の息子』で観られます。

明日への希望が持てない様子も垣間見られます。
しかし、後者の映画のように、家族の絆はたいそう強いとのこと。
狼は一生をツガイで終えると聞きますが、あまりにも環境が厳しいからだと言う人もいます。
厳しい現実の中で、ブラジル人の家族の絆も高まるのでしょうか?

絆が強いからこそ、「サウダージ」という言葉が在るのでしょう。
親は子を守り、子は安心感の中で生活する。
しかし、子はある年齢を境に、限界と絶望を覚え、輝く明日の連続を信じていた自分を心の片隅に仕舞うことになる。

経済も破綻、仕事もない、明日がどうなるかすらわからない・・・
そんな時、人はどうなるだろう?

***

現在の日本も絶望とまでゆかなくとも、黒い雲の片鱗にのまれつつあります。
ブラジルより生活は豊かであれど、1年に1度のカルナバルに向けて団結するわけでもなし、
具体的な目標や希望もなく、漠然と過ごしている人々も多いでしょう。

*『黒のオルフェ』はリオのカルナバルを有名にした映画ですが、
ブラジルではあまり観られていないそうです。
また、現実に忠実でない部分もあると言われています。*

ワーキングプア、ネットカフェ難民、新しい言葉が生まれました。
働けど暮らしは楽にならず、仕事にも恵まれずと彼らは言います。
しかし、仕事を選ばなければ、何だってあります。
北海道や東北では人不足により、寮を用意して働き手を集っています。
反面、都会に縋り付く若者が溢れています。
そこにいる必然性もないままに。

電燈に群がる虫のように、都会に群がる理由は何?
ネオンと希望を見間違えていない?
家族の絆が弱いぶん、人の数で埋まるとでも?

戦地では第一線の部隊には、精神疾患にかかる人は少ないそうです。
その手前の部隊には、精神疾患を患う人が多いそうです。
中途半端な環境では、明日への絶望だけが際立つのでしょうか?

本当の貧困に陥れば、都会に執着しないでしょう。
このバランスの悪さは、中途半端な豊かさを物語っています。
いずれにせよ、ブラジルとは違うけれど、明日の具体的な、
生活のささやかな輝きがないという虚無感を抱える人々が増えているのは間違いなさそうです。

ここ数年は維新の志士達でなく新撰組が受けていると耳にしました。

さて、困りました。
私は語学も数学も苦手ですが、日本史も苦手です。
・・・えっ?何がお得意ですか?ですって?
そういう失礼な質問はお控えいただけます?(笑)

これ以降も私の少ない知識と、日本史マニアの友から教えていただいた話に、
これまた私の想像力を添加してみます。

個人的には幕末よりも、明治大正~昭和初期が好きです。
その理由は、好きな芸術やファッション、建築物がその時代に集中しているからであって、
日本史が理由ではありません。

西洋文化と日本文化が融合しているものが、私の趣味に合います。
いえ、西洋と日本でなくとも、異文化が融合したものが好きです。
例えば、ベルサイユ宮殿を見ていても、異国情緒ある「中国の間」に惹かれます。

心地よい文化の溶け合いは、退廃と発展の中間地点でしょう。
退廃があるからこそ、発展を感じるのです。
退廃の美も楽しみつつ、発展が廃れることのない安心感を与えてくれる。
私にとっては一番美味しいところです。

さて、今。
何故、退廃しかない新撰組なのか?
何故、坂本龍馬でなく土方歳三なのか?

私の好むものが生まれた背景はどんなものだったのでしょう。

***

ブラジル、ワーキングプア、新撰組、土方歳三・・・
「俺達に明日はない」チームと名付けましょうか?
ドバイ、勝ち組、海援隊、坂本龍馬・・・
「将来薔薇色」チームと名付けましょうか?

誰だって「将来薔薇色」チームに入りたいに違いないでしょうに、
何故「俺達に明日はない」組なのでしょうか?
退廃の美学や哲学があるのもわからなくはない。
だけど、この不景気な現在だからこそ、薔薇色に惹かれてもよさそうなものなのに。

共感、共鳴、そんな言葉が浮かんでは消えます。
歴史は変えられない。
しかし、明日もなく戦う新撰組の肩をを持ちたくなる。
もし、ここで新撰組が勝ったら、自分の未来が開けるような気がする。
土方歳三が戦いを止めたら、自分も終わってしまう気がする。

希望とは、目映いばかりの光の中では見えません。
いえ、必要もありません。

変えられない歴史に、一瞬の夢を見る。
リオのカルナバルにように。


土方は隊の規律を守らぬ者には切腹を命じ、恐れられていました。
しかし、箱館戦争当時には、温和で慕われており、若い隊士を飲食に連れ歩いたりするようになったそうです。
・・・明日にも命を落とすかも知れない隊士の士気を上げる為の計算であったとも言われておりますが。

明日がない騒ぎと言えば、特攻の前日。
遺書に向かう少年もいれば、前の日だけ許された酒を振舞われ、酔い騒ぐ少年もいたでしょう。

「雨降って 今日一日を 生き延びる」
4人の特攻隊合作の川柳の一節です。

特攻前夜、酒宴で大騒ぎしたとして、それを、底抜けの陽気だと言えますか?
リオのカルナバルの明るさと言うものも、その類のものではないでしょうか。

土方歳三の最後は、敵の銃弾に当たったとするのが通説ですが、
降伏に頑強に反対する土方を、味方が暗殺したという説もあります。
どちらにせよ、幹部の中で戦死したのは、土方歳三だけ。
他の幹部らは妥協点を探しながら、戦っていたとも言えるようです。

「明日がない。」
土方歳三は夜の数のぶん、思ったことでしょう。

***

「明日がない」話のひとつとして、愛犬ベントのお話をさせて下さい。
ベントはベルギーに渡ってからフランス語の風「Vent」と表示しましたが、
元々はポルトガル語の風で命名「Vento」でした。

犬の記憶力はどのくらいか?犬は笑うか?などについて、
生物学者によっていろいろな意見があるそうです。
犬と生活していれば、笑って当然、意外と記憶力は良い、何を今更?と思ってしまいます。

去年の秋、愛犬ベントの死を見守ってからは、
「サウダージ」という感情まであるのではないか?と思い始めておりました。

愛犬ベントの最後は、骨肉腫の再発でした。
最初の腫瘍の発見、手術から約10ヶ月後、8歳のお誕生日を迎えた後でした。
1年何もなければ再発の可能性は低いと聞いていたのですが、
残すところ2ヶ月を目前に、再発してしまったのです。

その頃、遡ること1年前より、私自身が軽く患っていました。
その病気が治った直後に、ベントの再発。
ベントが全て背負って行ったに違いないと皆が言いました。

私が治ったように、ベントも治るに違いないと信じていました。
なのに、ボロボロになってゆく様を見ているのは辛く、
とにかく早く楽にしてあげたいとばかり思いました。
あまりにも辛そうな時は、我慢しなくていい、逝ってもいいんだよ、と。

それでもベントは、死の直前まで食べようとしました。
動物は最後まで生きようとすると聞きますが、本当です。

あんなに頑張っていたのは、自分が健康で、目一杯楽しい私との日々が、
再度やってくるのが当たり前だと信じていたからでしょう。
健やかで穏やかな過去は、今現在の記憶から一度も切り離されていないのです。

遠くを見つめるベントの瞳の中に、私は確かにサウダージを感じました。

全てを自分で負って辛くても、純真な瞳はそのまま。
死の前日の深夜は、何度も私の顔をじっと見つめました。
訴えるように、繰り返し繰り返し、何度も。
翌朝、ベントは息を引き取りました。

間違いなく、あの瞳はうったえていた。
「明日はないかもしれない。ねぇ、もっと顔を見せて。」

***

希望がないとは言えど、日本はまだまだ恵まれています。
食料自給率が低いのに、実はその何割かは破棄されているのです。

日本では、最初から多くを手にしているお坊ちゃん、お嬢様が受けます。
どこの国であろうが、彼らは羨望を受けることでしょうが、日本では異常にもてはやされる気がします。

これは多くを望みすぎていることの証ではないのでしょうか?
お嬢様・お坊ちゃまの所有 - 私の所有 = 不満・羨望
そんな風に考えているのではないでしょうか?

映画『黒いオルフェ』の中で、フランスやスペインのお姫様や王様の衣装を纏い、
リオのカーニバルで踊るシーンがありました。
カルナバルの最中なら、人種差別からも開放され、裕福な身分になれる。
白い肌、それに乗った富と権力を得る奇跡を描く。

勿論、彼らは知っている。
滅多にあることではないからこそ、奇跡と呼ぶことを。
でも、希望を夢見ることは罪ではない。

映画『黒いオルフェ』の出演者だって素人ばかり、
『フランシスコとふたりの息子』の子役だって素人。
路地でボールを蹴っていたお隣の少年が、有名な選手となり、
CMに出ているのを見た人もいるだろう。

最初からお腹いっぱい食べられるのは白い肌の人。
飢えているのは黒い肌の人。
権力と富の大きさは、肌の白さと比例する。

混血が半数を占めていると言うことは、
生まれた時から、あきらめを抱えてくる人が半分もいるということ。

最初から恵まれて生まれることよりも、
自分の手で奇跡を勝ち取ることの方が想像しやすいのかもしれません。
自ら成功を掴んだ人は、人々の希望であり、
羨望の眼差しは「自分で掴む人」に向けられているのではないでしょうか。
日本との違いを感じます。

***

最後に、歌詞をお届け致します。
↓映画『黒いオルフェ』の「フェリシダージ」という唄です。
【フェリシダージ】
http://jp.youtube.com/watch?v=cGYFhmIjoXA

映画の解釈された訳は目にする機会があるでしょうから、
あえて“ガシガシの直訳”をお届けします。

「フェリシダージ」とはポルトガル語で「幸せ」の意味です。
タイトルの「エスペランサ」は「希望」の意味です。

リオのカルナバル、サウダージは、こういった土壌の中で芽生えたのです。
今、ある幸せと希望の大切さに気がつかされませんか?


<フェリシダージ>

悲しみには終わりがない 幸せには終わりがあるのに
幸せは、雫のようなもの
幸せは、花びらに宿る夜露の雫のようなもの
静かに輝いて、それから軽く揺れて
そして、愛の涙のように落ちていく

貧しい人の幸せはカルナバルの大いなる幻影のよう
人々は一年じゅう働く
ひと時の夢のために
仮装の衣装を作るために
王様や海賊や庭師の衣装
水曜日に終わってしまう全てのために

幸せは、一枚の羽根のようなもの
風が空中を運んでいく(羽根)
空中を軽やかに飛んでいくけれど、はかない命
絶え間なく吹く風が頼りの羽根のよう

私の幸せは夢見ている
私の恋人の目の中で
幸せは、過ぎていく今宵のようなもの
夜明けを探し求めて(いるこの夜のよう)

お願いだから小さな声で話して下さい
一日の始まりとともに彼女が気持ちよく目覚めるように
愛のキスを与えながら

幸せは狂おしいほどに素敵なもの
そしてまた、あまりにも壊れやすいもの
(幸せには)色とりどりの花や愛がある
(幸せには)小鳥の巣がある
(幸せは)ありとあらゆる素敵なものを持っている

幸せはこんな風にとても壊れやすいものだから
<Fim>
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彼への想いはサウダージ


photo : Mon saudade "VENT''

以下、メルマガより抜粋。
*******

サウダージの意味を問われ、
「ボサノバの有名なポルトガル語。懐古趣味のようなもの?感覚?」
とお答えしたというお話を書きました。

でもね・・・
そう答えつつ、「しっくりくる単語がないわね。」と感じておりました。

ベルギーにいた頃、猫の手も借りたい収穫期の数日間、
ポルトガルのオレンジ農園のお手伝いのチャンスがありました。
素晴らしい経験になったであろうこと間違いなしですが、
私は虫が大嫌い、怖くて仕方ないので・・・諦めました。
(でもゴキブリは殺せる。)

もし、広がる農園を目前に、ボサノバを耳に働いてみれば、
「サウダージ」と言う感情を掴めたかもしれません。

今回は「サウダージ」に突っ込んでみます。

「哀愁」「郷愁」・・・どの訳もニュアンスも少し違うようです。
言葉に出来ないもどかしさを感じていたら、
ある方がうまくまとめて下さいました。

『不安も孤独もなく、自分が守られているのがごく当たり前のことと
確信していた幼き頃の日々、世界が自分に微笑みかけ、今日は明日に繋がり、
たくさんの明日を経て輝く未来が開けると無邪気に思い込んでいたあの頃。
あの頃の自分へ憧憬と郷愁。
楽しくて希望に満ちていたあの日々へは決して戻れないとはわかっている。
だけど戻れたらいいなぁと思ってしまう。

今も自分の中に息づいているようで、
懐かしいという感情では蔽いきれない。そんな過去の記憶に対する感情。
まだ十分にみずみずしく、二度と訪れることはないと解っているけど、
過去や想い出としての領域に仕舞いこむには寂し過ぎる。
想い出にしてしまったら自分から離れてしまうような気がして、躊躇してしまう。
二度と戻れないと認めてしまうようで。

あの頃には戻れないとわかっている。それでも憧れ、求め、そして懐かしむ感情。

ふと想い出したとき、今でも躍動感と現実感に溢れていて、
懐かしさと切なさをと伴って心に溢れるほどに蘇る記憶。。。

そんなときにはきゅっと心が締め付けられるような、そんな感じの心の動き。』

サウダージという感情は、ポルトガル語特有の言葉で、
他の言語では本当の意味を充分に伝えられないと言われているそうです。
でも、こうして読んでいると、
誰もがこんな感情を持った経験があるのではないかと存じます。

例えば、昔の恋人を想い出してみて下さい。

想い出の領域に入っていると言うことは、
今の心からは一度切り離されていると言うこと。
しかし、今も心に繋がっている、
一度も切り離されたことのない過去の記憶があります。
それは、想い出して括るにはあまりにも不釣合いな臨場感と感情。
今でもその現実を伴っているような錯覚です。

マイナスの感情で繋がっている場合、
「サウダージ」は存在しないことでしょう。


祖国を遠く離れ、異国での数十年を経て、子供や孫に囲まれている。
長く想い出すこともなかったのに、ふとした折に、遥かなる故郷の景色が心に浮かぶ。
故郷の風、大地の匂い、母の声、父の肩車・・・


去年逝ってしまった愛犬ベント。

『彼への想いは私のサウダージ』

想い出と言うには近すぎる。
くるくる動く立ち耳や、私の顔に触れる柔らかな体毛が隣にある。
自然と「ベント」と声が出る。
「Venez,Vent,C'est bon,Vent...」
背景はベルギーの家、庭、森、カフェ・・・
ベントは心に生きていると感じる。

「心に生きている」と言う表現は陳腐なものだと思っていたけど、
本当なんだと今はわかる。

現実には死を受け入れた。
だけど、ベントの生と私の心は繋がっている。
楽しさと悲しさが混在し、懐かしさと切なさが一緒くたになる。

ベントとの日々には二度と戻れないけど、
奇跡が起きて戻れたらいいなと思ってしまう。

『彼への想いは私のサウダージ』

さぁ、昔の恋人を想い出して下さい。
サウダージですか?想い出ですか?
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メメントモリと細胞分裂 
以下、メルマガより抜粋。
*****

「サウダージ」の意味を質問された。言葉にするって難しい。
「ボサノバで有名なポルトガル語。懐古趣味のようなもの?感覚?」とお答えし、大きくはずれていなかったようでホッ。
無教養なもので、感覚だけで生きている私。引き出しに知識がない。

目に見えるものについては、懐古趣味的なところがあるのかもしれない。
だけど、生き方としてはあまりないのかもしれない。
もちろん思い出はある。でも今が一番大事。そして、未来のことも考える。

そんな私には、「サウダージ」も大切だけど、「メメントモリ」も常に忘れ得ぬ言葉。
ラテン語なのですが、「メメント」はメモをするの語源。「モリ」は死ぬ。「死ぬことを忘れない」と言う意味。
以前付き合っていたフランス人が、教えてくれた言葉です。映画や小説のタイトルにもなり、今ではご存知の方も多いと存じますが、前は親しみのある言葉ではありませんでした。

西洋画や映画で、書斎に頭蓋骨がおいてあったりしますよね?あれも形に見えるメメントモリの一種でしょう。

「メメントモリ」
この言葉の説明を聞いた時、退廃的を通り越し、絶望すら覚えました。
しかし、随分時が過ぎ、その言葉は未来を語る言葉であることを感じました。
「死は未来に訪れるもの。」
誰にでも必ず起こる平等な出来事。輪廻転生を繰り返すとしたら、小さなひとつの節目、出来事でしかないのでしょう。

いつしか私はこの言葉に感情を抱かなくなりました。
恐れることもない、当たり前であること、必然的な言葉。
サウダージとメメントモリ、過去と未来、生きてきた証と死にゆく確約。
逆のようだけれど結局、時間という線で繋がっている。

あなたか必ず死ぬと予言しましょう。
大丈夫、絶対死にますから。
それまでの時間を大いに楽しみましょう。

私たちは、多くの犠牲を土台に生きています。それは、性を与えられた瞬間から始まります。
例えば、受精。そして、人間の形を成してゆく段階。
今までは順序よく細胞分裂が繰り返され、増えてゆくとされていました。
しかし、最近の研究ではそうではなく、
最終的な形のみが決まっているとされているそうです。
最終的な死のみが決まっているにと似ています。

細胞分裂とされてきたものは、実は細胞の自殺だったのです!
驚くことに、私たちは弱肉強食の仕組みの中で犠牲を生むだけでなく、自分自身の中においても、犠牲を生んでいるわけです。

多くの細胞が自殺を繰り返し、犠牲となり、胎児の形へと成してゆくそうです。
細胞分裂は遺伝子レベルの化学反応と言われていますが、この話を聞く限りでは、細胞のひとつひとつに意思があるとしか思えません。

ちなみに、細胞分裂をするにあたって、誰もが最初はメスであることから始まります。妊娠6週から、性別か変わってゆくそうです。
メスは最初からメスなので楽ですが、オスになってゆく時はもっともっと細胞分裂を繰り返すことになります。
メスに生まれることが当然なので、オスになると決まった瞬間から、たくさんの細胞分裂=凄い努力と苦労を強いられることになるのです。

その細胞分裂を失敗すると、メスになってしまいます。
だから、女から男より、男から女に性転換を希望する人の方が多いそうです。

何にでもBDSM的な話に繋げるのはよくない癖だと思いつつ、申し上げます。
強いられる細胞分裂・・・これは、オスはマゾとして生と受けると都合良く噛み砕くのも有りですか?(笑)

細胞分裂=細胞の自殺であるとするならば・・・
私たちは死をもって生を受けてきた。常に死は内にあるもの。
細胞に組み込まれた大切なことを忘れてしまうから、わざわざ「メメントモリ」なんて言葉が出来たのでしょう。

さぁ、死ぬまでの時間。
どのように楽しみましょう。
死の瞬間、後悔なきよう過ごしましょう。

ちなみにラテンというキーワードで書かせていただきましたが、
日本にも多くのメメントモリが存在します。
まだ深くを知らぬ密教にもメメントモリの存在を多くみます。
地は離れていても奥そこに眠る思想は同じだと感じます。<fin>

<次は、サウダージと土方の孤独へ>
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